昨日、外出先で知人のスカートの裾上げがほつれて取れてしまったと困っていた。これからこのスカートを履いて出かけるのだと言う。
その会場内に裁縫箱があり、針と糸が使えたので、彼女に頼まれて私は裾上げをすることになった。
私は、たまに家族のズボンの裾上げをするくらいで裁縫は上手くできる自信はない。しかし、彼女も周りの人も裁縫はできないという事で、急場をしのぐために両面テープで裾を止めるよりは糸で確実に止めた方がいいと考えて私はやることにした。
スカートの裾上げには合わない太い針と糸しかなくて、作業し難く、自分の裁縫道具を持って来たいくらいだったが、急いでいたので現場である物でなんとか裾上げができた。
彼女や周りの人はとても喜んでくれた。
私はちょっと複雑な気分。また受け取れない病が発症しているのだ。
私の心の中は、こんな雑な裾上げを裁縫上手な人には見せられない〜!下手くそすぎて恥ずかしい!
って思ったのだ。
では、裁縫上手な人って誰だ?
そうだ、私の母だ。
その場に母がいて見ているわけでもないのに、私の心の奥では、私は母の評価を気にしているのだ。
母に上手にできたねって言われたいんだ。褒められたいんだ。
って事に気づいた。
完璧じゃなくていい
スカートの彼女は直ったスカートで嬉しそうに出かけて行った。その姿を見送り、彼女のスカートの裾を見ながら、
完璧じゃなくてもいい。
私の今、やれることやって、それで相手が喜んでくれるのなら完璧じゃなくていいんだ。
ってことがわかった。
上手にできることよりも、時間内にスカートが直せたこと、困っていた彼女が直ったスカートを安心して履いて、笑顔で出かけられるならそれで十分ではないか。そこに裁縫の上手や完璧な仕上がりはいらないのではないか(できるだけ上手には仕上げたいが。)。
「今、私にできる事をする」
それができたって思ったら、彼女や周りの喜んでいる顔が素直に嬉しいと受け止められた。
Machiko’s voice
少しずつ完璧主義を緩めていきたいな。
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