【自分の好きがわからない病】「めんどくさー」これも立派な感情。誰かのためにから「自分のために」へ

前回の続き。内容はこちら

私は「外部刺激」を無意識で求めている状態。

外からの刺激にはすぐ反応できるけど、自分の内なる刺激には鈍感になっている。

コントロールを毛嫌いしている私は、「好きにやったらいいよ。」って言われるとすごく嬉しいって思う。

でもその反面、

「好きにやったらいいよ。」
って言われても、自分の好きがわかんないでーす。

自分の好きがわからない病

重症でーす。

どうしましょ。

✳︎✳︎✳︎

私は、
「人のために」とかだと力が湧くのよねー。がんばれちゃう。

でもそれが、
自分のために…だと?

なにそれ?
どうやってやるの?

ワタシ、ニホンゴ、ワカリマセン(笑)

の状態。思考停止。あらまぁ。

あぁ、そういうことかー。

人のため、人の期待に応えることばかりやって来たから、
自分のためって言われても私、わからないんだー。

初心者なんだ。

そう。初心者中の初心者。

あらまぁ、どうしましょ。

✳︎✳︎✳︎

受身な目標達成を頑張ってきた分、主体的な目標が設定しにくくなってしまう。 | 心理カウンセラー根本裕幸

だから、とりあえずこの10数年間めちゃくちゃ頑張ってきて安心できる安定的生活を手に入れた自分自身を大いに褒め称え、賞賛し、崇めることが必要ってことです。

毎日毎日自分をひたすら褒め称えてあげてください。
そして、そんな日々を生き抜いてきた自分をもっと好きになり、そんな自分に自信を持ち、さらには、そんな自分に感謝の気持ちすら持ってもいいでしょう。

なんせ、今の生活はこの10数年間の苦行を頑張った報酬なわけですから。

引用元はこちら

言い換えると
「今のこの安心できる生活は、私がこの40年間の苦行をがんばってきた報酬なわけですから。」

この言葉が一番心に響いた。刺さった。

そっか。そっか。
私の今の生活は、私が今までがんばったから得られたんだ。

もっと今の生活を楽しまなければもったいないぞ!

クソババやクソジジイの監視の目がない生活。
人の詮索と噂ばかりする田舎の視線を気にしなくていい生活。

保健師を辞めて医療行為から離れた今。

子ども達の不登校や登校渋りも落ち着いて、それぞれマイペースでやっている。

夫は元気に仕事して、休日は自分の時間を楽しみ、謳歌している。

私は家でのんびり過ごしている。自分の時間がある。どこへでも自由に出かけられる。
洗濯以外の家事が嫌いで、いろいろ後回しにしている主婦の妻にも文句を言わない夫。ありがたや。

母は昨年大病して、私はそのサポートで大変だったけど、今は病状安定している。父も母も落ち着いて暮らしている。

あぁ、私、今、幸せなんだなぁ〜。

安心して暮らせている。嬉しいなぁ。

✳︎✳︎✳︎

今までの受動的から主体的に切り替える。
「誰かのために」から「自分のために」に切り替える。

まだまだ初心者だけど、少しずつ。

まず、
自分の感情に目を向けてみよう。

私、今、どんな気分?
私、今、なにがしたい?
私、今、なにが食べたい?
私、今、どこへ行きたい?
私、今、どんな服が着たい?

などなど。

自分の感情に意識を向ける。

なんか一回一回、めんどくさーって思うところもあるけど(笑)。

「めんどくさー」
これも立派な感情だから良し!
感じた感じた。

マチコ

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